梨田昌孝時代〜近鉄バファローズの歴史7〜
【第15代】 梨田昌孝(2000〜04)
2000年に就任した梨田だったが1年目は投手陣崩壊を食い止める事が出来ず、またチームカラーに機動力野球を持ち込もうとして失敗し、屈辱の2年連続最下位に沈む。しかし、若手の前川克彦を打ち込まれながらも辛抱強く1年間使い続けた事が結果として翌年につながることとなり、打者としては中村紀洋がホームラン王を獲得し、パリーグを代表する長距離打者として覚醒。
当時のファンの近鉄への想いは「失望」から「諦め」に変わりつつあったが、梨田の特長である「先を見据えた戦い」は徐々に築かれていた。
翌01年、パリーグの勢力構図はダイエー・西武の2強に様変わりしていたが、完全ノーマークの近鉄が開幕早々、「異変」を起こす。
投手陣の崩壊ぶりは相変わらずであったが、ローズ・中村の両大砲が打ちまくり、首位戦線に殴りこみをかけた。
またこの2人に触発されるように礒部公一・川口憲史・吉岡雄二・大村直之といった「脇役」陣までもが覚醒。
いつのまにかどこからでも長打が出る「近鉄史上最強打線」が完成していた。
弱点である投手陣はバーグマン、パウエル、三澤興一とフロントの積極的なサポートもあり何とかフォロー。
9月までダイエー・西武との3つ巴の優勝争いに残っていた近鉄は西武との大阪ドーム3連戦に3連勝。
そして9月24日にローズがシーズン最多本塁打タイ55本を樹立し、その試合も中村の劇的なサヨナラホームランで勝利。
26日のオリックス戦で北川博敏が代打逆転サヨナラホームランで優勝を決めた。
日本シリーズはヤクルトとの対戦となった。初の日本一に意気込んだ近鉄だが、第1戦でヤクルトのエース、石井一久のあわやノーヒットノーランという投球で完敗し、出鼻をくじかれる。第2戦近鉄らしい派手な逆転勝利でタイに持ち込むが、キーマンの礒部がヤクルトの頭脳である古田敦也の徹底マークにあい、完全にブレーキ。
神宮での3連戦は防戦一方。大阪に帰る事なく、まさかの3連敗。「完敗」で4回目の挑戦も失敗に終わった。
「2年連続最下位からの逆転優勝」
「ローズの55号本塁打」
「北川代打逆転サヨナラホームラン」など
人気回復にはもってこいの材料があふれた一年であったが、マスコミ(特に関西)の腐敗の進行は近鉄のそれよりも顕著で
「長嶋監督辞任」
「星野阪神監督就任」
野球のプレーとは一切関係のない話題で近鉄の存在は薄れていった。
プロ野球ファンのドーナツ化現象(絶対数は増えたがコアファンが減り、浅く薄いファン重視の風潮)が進んだ事も影響し、チームの復活、フロントの珍しい努力の割に観客動員が思ったほど伸びなかった事は近鉄本社で強い失望感を生んだようだ。
この失望が3年後の「最悪の選択」をフロントに選ばせようとはオールドファン達は思いもよらなかったことであろう。
連覇を目指す02年であったが、礒部が「日本シリーズ後遺症」に悩み、低迷。
他チームが近鉄包囲網を敷いた為、礒部に限らずどの選手もこぞって成績を落とす。
そんな中、パウエルが17勝で最多勝をマーク。3年目の若手岩隈久志が8勝を挙げるなど明るい話題も多かったが、抑えの切り札として長年活躍してきた大塚晶文がオフにポスティングによるメジャー挑戦を表明。
ポスティングに失敗すると球団と契約でもめ、結局中日に移籍。さらに中村がFA騒動で関西マスコミの餌食に。
結局残留という道を選ぶが、「阪神に入らないものは全員敵」というマスコミのバッシングや近鉄フロントの過剰な「もてなし」により中村はそれ以降、チーム・ファンからも孤立、「迷走」状態に入っていく。
03年は中村がオフの調整不足がたたり、膝を故障。
爆弾を抱えたまま強硬出場し、症状を悪化させた挙句、成績もダウンという悪循環に。
投手陣も大塚の抜けたストッパーの穴が大きく、助っ人投手陣や高村祐らベテラン投手陣が何とか踏ん張るも埋めきれなかった。
そんな中で岩隈がエースとして最多勝を獲得、久々の本格派エースの誕生で何とか3年連続のAクラスは確保した。
ローズは中村の分まで奮闘し、2年ぶりの本塁打王を獲得するが、オフに球団と複数年契約をめぐって揉め、巨人に移籍。
何かがおかしいフロントの態度。この頃から既に「異変」ははじまっていた。
そして04年。中村は膝を手術し、万全の状態でシーズンに挑んだはずだったが、前年無理に出場した事で良かった頃の打撃フォームが崩れ長打が激減する。
そうなるとローズが抜けた穴は想像以上に大きく、得点力低下は著しかった。
投手陣も岩隈は開幕12連勝など既に球界を代表する投手に成長していたが、ストッパーとして期待したカラスコが致命的な救援失敗を連発。
またもストッパー不在に苦しむ。
6月、鈴木貴久コーチの急死の訃報の悲しみも覚めやらぬ中、「オリックスと合併」という信じられないニュースが飛び込む。
近鉄ファンの声を無視した合併話は信じられないスピードで進んでいくが7月ライブドアの近鉄買収名乗りにより、「ほりえもん祭」が大阪ドームで勃発。それまで近鉄ファンだけだった騒ぎがプロ野球全体の球界再編問題にまで拡大し、社会現象にまでなる。
1リーグ制という渡辺恒雄や宮内義彦らの陰謀を粉砕する事には成功するが、「建前上、退くに退けなくなった」という理由で近畿日本鉄道はオリックスとの合併を締結。マスコミの茶番のせいでいつのまにか近鉄・オリックス合併問題よりもほりえもんのキャラクターや12球団が維持されるかどうかの方に問題がすり替わり、世論も完全にそっちを向いたのが痛かった。
チームは選手会長礒部のグランド内外に渡る活躍でプレーオフ出場を目指したが結局5位でプレーオフ進出すら逃してしまう。
9月24日に本拠地大阪ドームの最終戦が行われ、満員のスタンドのファンが涙を飲んだ。
そして、27日に皮肉にも合併先のオリックスとのゲームが「近鉄バファローズ最終戦」となり、55年の球団の歴史に幕を閉じた。
近鉄バファローズチーム成績
■梨田昌孝時代(2000〜04)
2000年 最下位 58勝75敗2分 .436
2001年 優勝 78勝60敗5分 .565
日本シリーズ敗退(対ヤクルト1勝4敗)
2002年 2位 73勝65敗2分 .529
2003年 3位 74勝64敗2分 .536
2004年 5位 61勝70敗2分 .466