藤井寺球場〜近鉄バファローズキーワード3〜
1950年に誕生した近鉄パールスは戦前から近鉄が所有していた藤井寺球場を本拠地とした。しかし、当時の藤井寺球場にはナイター設備が無いというプロ野球チームの本拠地球場としては致命的な問題があり、大阪市内にある日本生命所有の日生球場、南海ホークスの本拠地大阪球場といった「準本拠地」を平日のナイターで使用し、「本拠地」であるはずの藤井寺球場は土日祝のデーゲーム時限定で使用するという状況がずっと続いた。名ばかりの「本拠地」という状況から脱却を目指す近鉄球団は73年に大掛かりな球場改修を行い、その時にナイター設備を完了させる予定だったが、藤井寺球場が藤井寺駅住宅街のど真ん中に立地するという状況から、地元住民の猛反対にあい、訴訟問題にまで発展。結局ナイター設備は頓挫した形で以後も藤井寺球場はデーゲーム限定の状態が続き、79年・80年チーム初の日本シリーズ開催も大阪球場で行われる事となった。
83年、外野スタンドに防音壁を設置し、鳴り物応援を一切禁止することで、ナイター設備工事再開を認可され、84年に念願のナイター設備が完成し、本当の「本拠地」となった。89年10月14日には藤井寺球場で優勝決定戦が行われ、初の日本シリーズ開催を達成した。
しかし、97年大阪ドームの完成を機に藤井寺球場での一軍公式戦は激減。99年10月のロッテ戦が一軍の公式戦最終戦となった。以後は、二軍のホームグラウンドおよび日生球場無き後の夏の高校野球大阪地区予選などで使用されていたが、2004年の近鉄バファローズ消滅により、閉鎖が決定。2004年9月30日に行われた中日とのウエスタンリーグプレーオフがプロ公式最終戦となった。2006年に解体され、現在跡地は私立学校の施設となっている。
鳴り物禁止の本拠地球場は当時としては異例。90年代、他球団の本拠地がどんどん電光掲示板やオーロラビジョンを導入する中、ドケチ近鉄はアナログ掲示板を守りとおした。「藤井寺球場、電光掲示板化!」という触れ込みで出来上がったのはちゃっちいスピードガン板であった(それはそれで何とも言えない近鉄らしい情緒があったが・・・)。鳴り物禁止ゆえ、ファンの野次がよく聞こえ、ファンと選手の距離が近かった。「五十嵐(元日本ハム)いやらしいの」「コラア、石毛(元西武)・・・出たら戻るな」などの河内系の近鉄ファンらしい理不尽な名物野次が多数生まれた。特に元近鉄の主砲土井正博が西武の一塁コーチャーに立った時は格好の餌食となった。金村義明が藤井寺球場の外野で近鉄ファンが焼肉を焼いているのを目撃した事もある。