近鉄バファローズの歴史

球団創設期/三原・岩本時代/西本時代/関口・岡本時代/仰木時代/鈴木・佐々木時代/梨田時代

近鉄バファローズ名選手

石渡茂/古久保健二/柴田佳主也/有田修三/井本隆/リチャード・デービス/羽田耕一/岡本晃/ハーマン・リベラ/佐藤秀明/山口哲治/伊勢孝夫/光山英和/金村義明/ベンジャミン・オグリビー/佐々木恭介/柳田豊/大成しなかったドラフト上位選手(高卒選手)/鈴木貴久/入来智/フィル・クラーク/村田辰美/小野和義/酒井弘樹/礒部公一/大石大二郎/村上隆行/真喜志康永/山下和彦/吉井理人/高柳出己/山本和範/高村祐/野茂英雄/水口栄二/及第点助っ人傑作選/山崎慎太郎/赤堀元之/新井宏昌/石本貴昭/石井浩郎/阿波野秀幸/中村紀洋

近鉄バファローズ名勝負

平野執念のバックホーム/ブライアント4連発/代打逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームラン/江夏の21球/10・19

近鉄バファローズキーワード

日生球場/藤井寺球場/コンニャク打法/巨人はロッテより弱い

スペシャルコンテンツ

牛コンテスト/2007年度元近鉄バファローズ選手MVP/元近鉄バファローズ選手リスト/加藤哲郎さんのお店:猛牛軍団

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藤井寺球場〜近鉄バファローズキーワード3〜

1950年に誕生した近鉄パールスは戦前から近鉄が所有していた藤井寺球場本拠地とした。しかし、当時の藤井寺球場にはナイター設備が無いというプロ野球チームの本拠地球場としては致命的な問題があり、大阪市内にある日本生命所有の日生球場、南海ホークスの本拠地大阪球場といった「準本拠地」を平日のナイターで使用し、「本拠地」であるはずの藤井寺球場は土日祝のデーゲーム時限定で使用するという状況がずっと続いた。名ばかりの「本拠地」という状況から脱却を目指す近鉄球団は73年に大掛かりな球場改修を行い、その時にナイター設備を完了させる予定だったが、藤井寺球場が藤井寺駅住宅街のど真ん中に立地するという状況から、地元住民の猛反対にあい、訴訟問題にまで発展。結局ナイター設備は頓挫した形で以後も藤井寺球場はデーゲーム限定の状態が続き、79年・80年チーム初の日本シリーズ開催も大阪球場で行われる事となった。

83年、外野スタンドに防音壁を設置し、鳴り物応援を一切禁止することで、ナイター設備工事再開を認可され、84年に念願のナイター設備が完成し、本当の「本拠地」となった。89年10月14日には藤井寺球場で優勝決定戦が行われ、初の日本シリーズ開催を達成した。

しかし、97年大阪ドームの完成を機に藤井寺球場での一軍公式戦は激減。99年10月のロッテ戦が一軍の公式戦最終戦となった。以後は、二軍のホームグラウンドおよび日生球場無き後の夏の高校野球大阪地区予選などで使用されていたが、2004年の近鉄バファローズ消滅により、閉鎖が決定。2004年9月30日に行われた中日とのウエスタンリーグプレーオフがプロ公式最終戦となった。2006年に解体され、現在跡地は私立学校の施設となっている。

鳴り物禁止の本拠地球場は当時としては異例。90年代、他球団の本拠地がどんどん電光掲示板やオーロラビジョンを導入する中、ドケチ近鉄はアナログ掲示板を守りとおした。「藤井寺球場、電光掲示板化!」という触れ込みで出来上がったのはちゃっちいスピードガン板であった(それはそれで何とも言えない近鉄らしい情緒があったが・・・)。鳴り物禁止ゆえ、ファンの野次がよく聞こえ、ファンと選手の距離が近かった。「五十嵐(元日本ハム)いやらしいの」「コラア、石毛(元西武)・・・出たら戻るな」などの河内系の近鉄ファンらしい理不尽な名物野次が多数生まれた。特に元近鉄の主砲土井正博が西武の一塁コーチャーに立った時は格好の餌食となった。金村義明が藤井寺球場の外野で近鉄ファンが焼肉を焼いているのを目撃した事もある。