日生球場〜近鉄バファローズキーワード4〜
正式名称を「日本生命球場」といい、名前の通り大手保険会社である日本生命の厚生施設としての球場として1950年にオープンした。
開場当初は主にアマチュア野球の会場として使用されていたが、1958年にナイター設備が完成し、照明設備のない近鉄の本拠地藤井寺球場に変わってプロ野球のフランチャイズ球場として運営されていくこととなる。70年代に完成予定だった藤井寺球場のナイター設備完成が騒音問題で伸びた為、以降20数年にわたって事実上の本拠地として数々の名勝負を生んだ。収容人数がオールスター・日本シリーズ開催の必要条件にあたる数に満たない為、79年・80年の日本シリーズは開催できなかった。
84年にようやく藤井寺球場のナイター設備が完成し、日生球場は「準本拠地」に格下げ。さらに97年の大阪ドームオープンを前にした96年限りでプロ野球の公式戦は最後となった。その最終戦はダイエーホークス戦となったが、当時弱小球団だったダイエーのあまりのふがいなさぶりに激怒したダイエーファンが試合後、王監督らの乗ったバスに生卵をぶつけるという事件があり、何とも後味の悪い最終試合となった。
以後しばらくアマチュア野球の試合を行っていたが、翌年をもって閉鎖、取り壊しとなった。大阪市内の森ノ宮駅からすぐという好立地条件にあり、阪急沿線に住む筆者などにとっては助かる存在だった。藤井寺球場は鳴り物禁止だったが、日生球場はOK。藤井寺球場とは違った近鉄の応援団の応援を楽しむことが出来た。
思い出に残っているのはリリーフエース赤堀元之がオリックスの投手シュルジーに外野の象印の照明灯にぶつけられる特大ホームランを打たれた事。後に近鉄の主砲となる中村紀洋が高2の夏の大阪府予選でバックスクリーンに特大ホームランを放ったのもこの球場。
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