山本和範〜近鉄バファローズ名選手12〜
76年のドラフト6位で近鉄に入団。
入団当初は投手であったがパンチ力のある打力を生かす為、打者に転向した。
しかし、一軍試合にチョコチョコ出場したものの、結局プロ6年間で放った安打はわずか6安打。
同期の久保康生らが活躍する中、6年目オフの82年に戦力外通告を受ける。
しかし、夢を諦めなかった山本は親友久保の紹介でとあるバッティングセンターに勤めながら練習を続け、その姿が南海ホークスの関係者の目に止まり、南海へのテスト入団が決まった。
すると新天地で打撃が開眼。一気に南海の中心打者となり、全盛期にはダイエーの2億円プレーヤーにまでなった。また、登録名も「カズ山本」に変更。絶頂を迎えていた。
しかし95年怪我で不本意な成績に終わると、高年棒が逆に足かせとなり、非情の戦力外通告。
2度目の戦力外通告、救いの手を差し伸べたのは皮肉にも最初の戦力外通告を出した近鉄の佐々木恭介新監督であった。
山本は佐々木に恩義を感じ、開幕から打ちまくる。
当時の近鉄はブライアントといった大砲が抜け、さらに石井浩郎が開幕戦で早々とリタイヤ。
しかし、山本がチャンスに強い5番打者として活躍。前年の最下位から4位へ浮上する原動力となった。
この年のオールスターにも出場。代打ホームランを放ち、涙のヒーローインタビューで古巣のホークスファンからも大きな拍手を受けた。
年齢的なもの、古傷の影響などもあり、この年の活躍がピークとなり、その後は代打での出場が中心となる。
そして99年、引退を決意した山本は福岡ドームでのホークスとの最終戦に出場。
プロ最後の打席で劇的な決勝ホームランを放ってこれ以上ない有終の美を飾った。
ここぞという集中力がハンパではなく、若手の見本にもなる非常に優秀な打者であり、プロとして「魅せる」という点においては本当にプロフェッショナルだなあと思う選手であった。
近鉄バファローズ時代の成績
■近鉄在籍期間:10年(1977〜82,96〜99) 在籍率43%
■近鉄時代通算成績:
284試合出場
打率.261
30本塁打
105打点
3盗塁
※在籍率・・・プロ入団から2004年の近鉄消滅までの近鉄在籍期間の割合。