近鉄バファローズの歴史

球団創設期/三原・岩本時代/西本時代/関口・岡本時代/仰木時代/鈴木・佐々木時代/梨田時代

近鉄バファローズ名選手

石渡茂/古久保健二/柴田佳主也/有田修三/井本隆/リチャード・デービス/羽田耕一/岡本晃/ハーマン・リベラ/佐藤秀明/山口哲治/伊勢孝夫/光山英和/金村義明/ベンジャミン・オグリビー/佐々木恭介/柳田豊/大成しなかったドラフト上位選手(高卒選手)/鈴木貴久/入来智/フィル・クラーク/村田辰美/小野和義/酒井弘樹/礒部公一/大石大二郎/村上隆行/真喜志康永/山下和彦/吉井理人/高柳出己/山本和範/高村祐/野茂英雄/水口栄二/及第点助っ人傑作選/山崎慎太郎/赤堀元之/新井宏昌/石本貴昭/石井浩郎/阿波野秀幸/中村紀洋

近鉄バファローズ名勝負

平野執念のバックホーム/ブライアント4連発/代打逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームラン/江夏の21球/10・19

近鉄バファローズキーワード

日生球場/藤井寺球場/コンニャク打法/巨人はロッテより弱い

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礒部公一〜近鉄バファローズ名選手19〜

1996年秋のドラフト直前。社会人屈指の強肩強打の捕手礒部公一オリックスと相思相愛だった。
しかし、近鉄スカウト陣は是が非でも礒部を獲りたい。
オリックスの動向を見つつ、近鉄はドラフト3位で礒部を強硬指名する。

ドラフト前から噂されていた近鉄の動きではあるが、礒部は当然態度を硬化させた。
ところが当時の監督佐々木恭介がここで何とドラフト当日に東京から広島の礒部の会社(三菱重工広島)へ乗り込んだのだ。
しかも広島への交通手段はヘリコプターであった。この監督の最大限度の誠意が礒部の心を大きく揺さぶった。
その日のうちに礒部は態度を軟化。結局、近鉄入りを決意したのである。

そんな入団エピソードがある磯部、この年から大阪ドームに移転していた近鉄にとっては「打てて走れる即戦力捕手」として期待を集める。
1年目から一軍の試合で経験を積んだ礒部は足と強肩を生かして外野手兼捕手として徐々にレギュラーの座へ近づいていく。

しかし捕手としては伸び悩む。
2000年に監督に就任した元近鉄の名捕手、監督梨田昌孝は礒部を何とか「打者としても捕手としても一流」の選手に育てようと積極的に捕手スタメンで起用する。
しかし、2001年、オープン戦からの成績は捕手としてミスの連発。おまけに打撃は大不振。
2年連続の最下位からの脱出を目指す梨田はオープン戦も終盤に差し掛かった頃、ある決断をする。オープン戦後半、礒部は捕手ではなくライトの守備でスタメン出場。「捕手失格」を監督から告げられた悔しさを晴らすかのように本来の打撃を取り戻す。

梨田は外野手礒部で行くことを決意する。そして迎えた開幕戦。日本ハムとの戦いはシーソーゲーム。しかし礒部の3ランがこの激戦にピリオドを打った。大逆転勝利をおさめた近鉄は波に乗り、2年連続最下位チームが優勝争いの主役となった。
そのチームの中で礒部は5番ライトに完全定着。
3番ローズが55本、4番中村紀洋が46本の本塁打を放ち、共に打点王を争うという強烈な前の打者の後、礒部は何と95打点という恐るべき数字を挙げている。

前でほとんどランナーが一掃されるというのにこの打点。
いかに礒部が数少ない残ったランナーを確実に返していたかがわかる数字である。
まさに当時の近鉄のクリンナップは歴代でも最強であった。

そしてシーズン終盤、西武戦で逆転の3ランを放ち、優勝を確実にする。
そして、悲願のリーグ優勝を果たした礒部。だが、日本シリーズで落とし穴が待っていた。
球界屈指の捕手ヤクルト古田敦也の徹底マークに合い、何と5試合でノーヒット。裏シリーズ男のレッテルを貼られてしまう。

そして2002年はこの「日本シリーズショック」の影響か、パのチームにも徹底的に弱点を攻められ、スランプに陥る。
90打点を挙げた恐怖の5番打者はまさかの30打点。左投手だと代打を送られる屈辱を味わう事となる。

しかし、礒部はこのままで終わるような打者ではなかった。
2004年、試行錯誤の末、新しい打撃フォームを確立した礒部はローズの抜けた3番を任せられ、再び爆発する。
打線は今度は中村が不振にあえいだが、礒部が時にはホームランを狙い、チームの長打力を補った。進化した礒部は長打狙いで打撃を崩す事無く、打率もきっちり残しホームランが初の20本に乗った。
だが、この年は近鉄オリックス合併問題という事態が起きてしまった。野球以外のところで礒部は選手会長として背広を着て球場外を走り回らないといけない日々が続く。
ともに近鉄存続に戦ってくれた同志があの古田というのも何という皮肉だろう。
結局、9月23日新球団参入と引き換えにバファローズは消滅する。
その日の会議は長きに渡った。出来ればストを回避したい古田と経営者側は大筋で合意に達していたが、何としてもバファローズを殺させないとする礒部が食い下がったという。
最後は古田達選手会が礒部をなだめる形で決着がついたと言われる。
礒部は涙を流しながら記者会見で「近鉄(=バファローズ)というチームが無くなっても、誇りは忘れません」と語った。
結局ただの運動好きだったマスコミはさも勝利のように騒いだ。
全く悪くないのに礒部は何度もファンに謝った。本来土下座でもして謝るべき人達がへらへらと「あーよかったね」と笑っている中で。近鉄ファンは皆涙した。そう、これは敗北だったのだ。

近鉄の選手にはシーズン終了後、オリックスと新球団楽天への分配ドラフトが行われた。 3割20本という大活躍をみせた礒部は当然オリックスのプロテクト対象となっていた。しかし礒部は断固拒否。プロ入りする前に熱望した球団を断固拒否した。

楽天の初代選手会長に就任した礒部は開幕からしばらくノーヒットとか相変わらずメンタルで弱い部分もみせつつも東北の地でしっかり根を張ってチームを牽引している。
バファローズ入りを嫌がった男がバファローズの魅力にどっぷりとつかり、バファローズを救う為に奔走し、かつて好きだったオリックス入りを拒否する。

数奇な運命を辿る男は新しいチームで近鉄バファローズの誇りを胸に今日も戦う。

近鉄バファローズ時代の成績

■近鉄在籍期間:8年(1997〜2004) 在籍率100%
■近鉄時代通算成績:
916試合出場
打率.289(1000打席以上打者歴代8位)
72本塁打
369打点
41盗塁

※在籍率・・・プロ入団から2004年の近鉄消滅までの近鉄在籍期間の割合。