小野和義〜近鉄バファローズ名選手21〜
創価高校時代に夏の甲子園でエースとして活躍。83年オフのドラフト会議で高校生No1左腕として近鉄を含む3球団が競合し、抽選で近鉄が交渉権を獲得、入団した。150キロ近い剛速球を武器に高卒1年目から早くも一軍で2勝をマーク。2年目は3勝に終わるも、3年目にブレイク。ちょうどベテランと若手の過渡期であり、若手のエース格として14勝をマーク。球質が軽く被本塁打はリーグワーストであったが、チームの優勝争いに大きく貢献する。その年から4年連続2桁勝利と同じ左腕のエース阿波野秀幸との2枚サウスポーとして近鉄の第2黄金時代を支えた。
しかし、チームが優勝争いを繰り広げる89年終盤に故障し、戦線を離脱。日本シリーズには先発(第4戦)したものの、敗戦投手。翌年は故障の影響でわずか3勝に終わる。ところが91年、これまでの速球でグイグイ押すタイプからモデルチェンジ。怪我でスピードが落ちた事が逆に功を奏し、緩急をつけたピッチングが冴え、以前よりも安定感が増した。阿波野が低迷期に入る中、12勝を挙げカムバック賞を受賞、華々しい復活を遂げた。しかし、翌年以降は再び低迷。一説には鈴木啓示監督との確執があったとされる。93年オフに自由契約となり、何とライバル球団の西武に移籍。すると、再び復活し、西武のローテーション投手として近鉄を苦しめ、7勝をマークし、日本シリーズにも再び出場した。
97年に中日で現役を引退した後は、近鉄で投手コーチに就任。2004年の近鉄消滅とともに楽天へ移籍。楽天の投手コーチとして朝井秀樹ら若手を育てた。
近鉄バファローズ時代の成績
■近鉄在籍期間:10年(1984〜93) 在籍率71%
■近鉄時代通算成績:
220試合登板
68勝62敗3S
防御率4.09
投球回数1196
825奪三振(歴代8位)
※在籍率・・・プロ入団から2004年の近鉄消滅までの近鉄在籍期間の割合。