大成しなかったドラフト上位投手(高卒編)〜近鉄バファローズ名選手26〜
@寺前正雄(90年ドラフト1位)
90年オフのドラフト会議で小池秀郎の外れ1位として近鉄入団。大阪の北陽高校時代はセンバツで延長17回を投げ抜いて惜敗するものの、爽やかなルックスも受けて人気者に。プロ入り時に背番号18を与えられるなど周囲の期待も大きかったが「アルバトロス投法」と呼ばれるダイナミックなフォームも制球難から矯正を重ねていった。2軍のローテ投手として実績を積み、入団6年目にようやく一軍マウンド、7年目には大阪ドーム元年の秘密兵器として先発のチャンスをもらうが、1完投を挙げたものの、初勝利をつかむ事は出来ず、99年に阪神へ移籍し、そのまま引退となった。
A桧山泰浩(85年ドラフト1位)
85年オフのドラフト会議で清原和博の外れ1位として近鉄入団。しかし、一軍登板は6年間でゼロ。話題になったのは合宿場での入来智との大喧嘩だけであった。
B田中宏和(94年ドラフト1位)
94年オフのドラフト会議でオリックスとの嘉勢敏弘の抽選に破れ、外れ1位で指名。
相撲部屋がスカウトに来るほどの体格の良さで将来性が期待されたが、故障続きで大成せず、在籍5年で一軍登板は無しに終わった。
C吉田道(92年ドラフト2位)
センバツ甲子園の準優勝投手として、大きな期待を背負い入団するも、肩・肘の故障で一軍登板の無いまま引退。
引退後は競輪選手を目指し断念。浜松市内で居酒屋を経営する傍ら、少年野球のコーチをしている模様。
D品田操人(91年ドラフト3位)
中央球界では無名の存在だったが、力のある速球は1年目から注目され、1年目から一軍デビューを果たす。しかし、そのデビュー戦が当時最強の西武戦で3イニングで2桁失点を食らうという強烈なプロの洗礼を浴びる。デビューは早かったがその後、伸び悩む。佐々木恭介監督が就任したプロ5年目の96年に酒井弘樹と共にローテーション投手として抜擢され、野茂英雄を真似たエセトルネード投法(レモネード投法)で勝負をかけるがブレイクすることは出来ず、その後は故障に苦しみ2000年に退団。弟も広島カープでプレーした経験がある。
近鉄バファローズ時代の成績
@寺前正雄
■近鉄在籍期間:8年(1991〜98) 9試合 0勝5敗0S 防御率4.91
A桧山泰浩
■近鉄在籍期間:6年(1986〜91) 一軍登板なし
B田中宏和
■近鉄在籍期間:5年(1995〜99) 一軍登板なし
C吉田道
■近鉄在籍期間:4年(1993〜96) 一軍登板なし
D品田操人
■近鉄在籍期間:9年(1992〜2000) 64試合 7勝5敗0S 防御率6.19