柳田豊〜近鉄バファローズ名選手27〜
1970年ドラフト8位で延岡商業高校から西鉄ライオンズに入団。
西鉄・太平洋時代は5年間で通算16勝と数字的には目立った成績ではなかったが、当時最強を誇った阪急ブレーブス相手に相性が良かった。74年に阪急から近鉄の監督に就任した西本幸雄はその相性の良さに注目し、何とそのオフに近鉄の主砲土井正博との交換トレード(太平洋側は柳田と芝池博明)を成立させる。
土井の実績と比較し、賛否両論を呼んだ電撃トレードであったが、西本に才能を見出された柳田は新天地で活躍。自慢のスタミナとヤナダンス(ニャロダンス派も)と呼ばれた独特の投球フォーム(一旦体を後ろに捻るサイドハンド)で打者を幻惑。ホームランは良く打たれたが(オールスターでも良く被弾。日本シリーズでは79年・80年とも最終戦で決定的なホームランを打たれた)、西本・関口清治時代と長く近鉄の主戦投手として活躍した。特に78年からは4年連続で2桁勝利をマーク、スリムな体からは想像のつかない抜群のスタミナで先発・中継ぎ・抑えとフル回転し、79年・80年のリーグ2連覇に大きく貢献した。つくづく西本の先見の明には驚かされる。
ニャロメという愛称で親しまれた。岡本伊三美時代からチームの若返り方針から出番が減り、87年に引退。近鉄時代だけで94勝。
近鉄バファローズ時代の成績
■近鉄在籍期間:13年(1975〜87) 在籍率62%
■近鉄時代通算成績:
403試合登板(歴代4位)
94勝114敗28S(歴代勝利数4位、歴代セーブ数6位)
防御率3.96
投球回数1916(歴代4位)
奪三振988(歴代5位)