佐々木恭介〜近鉄バファローズ名選手28〜
1972年のドラフト1位で社会人チーム新日鉄広畑から入団。
三塁手として1年目・2年目は準レギュラークラスの成績だったが、3年目の74年に外野手に転向するとレギュラーに定着。4年目には初の3割をマークする。主に3番打者として、長打も打てる巧打者として近鉄強力打線の軸となっていった。
78年には.354という高打率で首位打者を獲得。79年・80年もたて続けに3割をマークし、近鉄のV2に大きく貢献した。類まれな能力がありながら怪我が多く、レギュラー獲得後もフル出場のシーズンは一度もなかった。
79年の日本シリーズもベンチ入りしながら第6戦まで出場機会がなく、最終戦の最終回、1点差、無死満塁の大チャンスの場面で代打で出場。広島江夏豊から三塁線へ微妙な当たりを放ったが惜しくもファールとなり、結局三振に終わった。
82年内臓疾患により、33歳の若さで現役を引退。
引退後はスカウトを経てコーチ業へ。近鉄のいてまえ打線の礎を築いた他、阪神の亀山努や新庄剛志をレギュラーへ育て上げた。
96年から99年まで近鉄監督を務める。背番号は尊敬する師、西本幸雄監督のつけていた「68」であった。ドラフトの目玉である福留孝介交渉権獲得や、オリックス入りを熱望していた礒部公一を強行指名し、ヘリコプターで広島の実家へ駆けつけ、熱意に絆された礒部を入団させるなどのペナントレース外での武勇伝はあったが、チームの成績としては97年の3位が最高で、99年は最下位に沈み、辞任した。
監督としては評価はあまり芳しくないが、コーチとして才能を開花させた選手は多く、慕う選手は多いようだ。2001年の優勝に貢献した中村紀洋やローズ、礒部公一の礎を築いたのは佐々木恭介の影響が大きいだろう。福留交渉権獲得時に当たりクジを持って叫んだ「ヨッシャー」という掛け声が印象深い。
近鉄バファローズ時代の成績
■近鉄在籍期間:11年(1972〜82) 在籍率100%
■近鉄時代通算成績:
1036試合出場
打率.283
105本塁打
412打点
94盗塁
※在籍率・・・プロ入団から2004年の近鉄消滅までの近鉄在籍期間の割合。