近鉄バファローズの歴史

球団創設期/三原・岩本時代/西本時代/関口・岡本時代/仰木時代/鈴木・佐々木時代/梨田時代

近鉄バファローズ名選手

石渡茂/古久保健二/柴田佳主也/有田修三/井本隆/リチャード・デービス/羽田耕一/岡本晃/ハーマン・リベラ/佐藤秀明/山口哲治/伊勢孝夫/光山英和/金村義明/ベンジャミン・オグリビー/佐々木恭介/柳田豊/大成しなかったドラフト上位選手(高卒選手)/鈴木貴久/入来智/フィル・クラーク/村田辰美/小野和義/酒井弘樹/礒部公一/大石大二郎/村上隆行/真喜志康永/山下和彦/吉井理人/高柳出己/山本和範/高村祐/野茂英雄/水口栄二/及第点助っ人傑作選/山崎慎太郎/赤堀元之/新井宏昌/石本貴昭/石井浩郎/阿波野秀幸/中村紀洋

近鉄バファローズ名勝負

平野執念のバックホーム/ブライアント4連発/代打逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームラン/江夏の21球/10・19

近鉄バファローズキーワード

日生球場/藤井寺球場/コンニャク打法/巨人はロッテより弱い

スペシャルコンテンツ

牛コンテスト/2007年度元近鉄バファローズ選手MVP/元近鉄バファローズ選手リスト/加藤哲郎さんのお店:猛牛軍団

このサイトは近鉄バファローズファンが運営する個人サイトです。したがって、選手ならびに監督・コーチ・関係者とは一切関係がありません。また、出来るだけ自然な文章になる事を優先している為、文中の選手・コーチ・監督名は敬称略という形をとっています。
当サイトのコンテンツおよび画像・テキスト等を無断で使用する事を禁じます。
推奨環境:InternetExplorer6.0以上、画面解像度1024X768



佐々木恭介〜近鉄バファローズ名選手28〜

1972年のドラフト1位で社会人チーム新日鉄広畑から入団。

三塁手として1年目・2年目は準レギュラークラスの成績だったが、3年目の74年に外野手に転向するとレギュラーに定着。4年目には初の3割をマークする。主に3番打者として、長打も打てる巧打者として近鉄強力打線の軸となっていった。

78年には.354という高打率で首位打者を獲得。79年・80年もたて続けに3割をマークし、近鉄のV2に大きく貢献した。類まれな能力がありながら怪我が多く、レギュラー獲得後もフル出場のシーズンは一度もなかった。

79年の日本シリーズもベンチ入りしながら第6戦まで出場機会がなく、最終戦の最終回、1点差、無死満塁の大チャンスの場面で代打で出場。広島江夏豊から三塁線へ微妙な当たりを放ったが惜しくもファールとなり、結局三振に終わった。
82年内臓疾患により、33歳の若さで現役を引退。

引退後はスカウトを経てコーチ業へ。近鉄のいてまえ打線の礎を築いた他、阪神の亀山努新庄剛志をレギュラーへ育て上げた。

96年から99年まで近鉄監督を務める。背番号は尊敬する師、西本幸雄監督のつけていた「68」であった。ドラフトの目玉である福留孝介交渉権獲得や、オリックス入りを熱望していた礒部公一を強行指名し、ヘリコプターで広島の実家へ駆けつけ、熱意に絆された礒部を入団させるなどのペナントレース外での武勇伝はあったが、チームの成績としては97年の3位が最高で、99年は最下位に沈み、辞任した。

監督としては評価はあまり芳しくないが、コーチとして才能を開花させた選手は多く、慕う選手は多いようだ。2001年の優勝に貢献した中村紀洋やローズ、礒部公一の礎を築いたのは佐々木恭介の影響が大きいだろう。福留交渉権獲得時に当たりクジを持って叫んだ「ヨッシャー」という掛け声が印象深い。

近鉄バファローズ時代の成績

■近鉄在籍期間:11年(1972〜82) 在籍率100%
■近鉄時代通算成績:
1036試合出場
打率.283
105本塁打
412打点
94盗塁

※在籍率・・・プロ入団から2004年の近鉄消滅までの近鉄在籍期間の割合。