82年オフのドラフト6位で大阪の太成高校から近鉄に入団。近鉄は翌年に光山英和、翌々年に山下和彦という捕手を獲得。梨田昌孝、有田修三といったレギュラー捕手が揃って衰退期を迎える中、この3人が正捕手争いを展開していくこととなる。
3人の中で最もプロ入りの早かったが80年代後半は梨田・山下に続く第2・第3捕手というポジション。90年代に入ると野茂英雄の入団により、バッテリー相性の良い光山のマスクが多くなった。それでも強気のリードと安定した守備力を買われ、90年代中盤は主戦として活躍した。
しかし、大阪ドームが本拠地となった97年あたりから強肩の的山哲也やキャッチャーとして総合力の高い藤井彰人らの台頭により、打撃が弱く、弱肩の古久保の出場機会は徐々に減少。2000年にはわずか5試合の出場に終わった。
コーチ就任を打診されるなど引退の声も囁かれはじめた2001年、一向に改善しない弱体投手陣へのカンフル剤として梨田監督は古久保を再起用しはじめる。最初は調子を崩していたリリーフエース大塚晶文専用の「抑え捕手」としての起用が多かったが、チームが徐々に熾烈な優勝争いに加わっていく中、いつしか古久保のチームで唯一前回の近鉄の優勝を知る「経験」は貴重な戦力となり、シーズン終盤はスタメンでの起用も増えた。
特に当時2 年目19歳だった岩隈久志との「親子バッテリー」は有名で、岩隈が見事プロ初完封を飾った試合も見事なリードで岩隈を盛り立てた。
2001年の優勝に大きく貢献し、日本シリーズにも出場。翌年もシーズン序盤はレギュラー捕手として出場するが、試合の中で衰える体力を悟った古久保は現役引退を表明した。
同時期に活躍した山下や光山の影に隠れる存在でありながら、最後まで近鉄で現役生活をやり遂げたのは古久保だけであった。
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