89年オフのドラフト4位で奈良の名門天理高校から近鉄に入団したスラッガー。高校時代からそのパンチ力ある打撃は高い評価を受けており、1年目から一軍の試合を経験。3年目には頭角を現し、3本塁打をマークした。
ほとんどが代打での出場であったが、その勝負強さには定評があり、特に対左投手に対する代打成功率は高く、いつしか「左殺しの藤立」として他球団の脅威となった。その非凡な打撃センスから左投手先発の時の指名打者や外野起用もあったが、故障で戦列を離れることも多く準レギュラー止まり。またどちらかといえば1打席集中型タイプと言え、代打の藤立の印象の方が強い。
96年にはわずか47試合、わずか104打席ながら9本塁打を放っている。しかも、その中には日本タイ記録となる代打三打席連続ホームランも含まれており、その異常なまでの長打力と代打成功率は目を見張るものがあった。
しかし、97年以降は怪我もあり、出場が激減し、成績も不振になり、99年オフにオリックスにトレードされる。しかしかつての恩師である仰木彬のもとで再び代打の切り札として復活した。その後、中日・西武と渡り歩き、2004年シーズンをもって引退した。
10年(1990〜99) 在籍率67%
269試合出場
打率.266
24本塁打
63打点
5盗塁
※在籍率・・・プロ入団から2004年の近鉄消滅までの近鉄在籍期間の割合。