野茂英雄フィーバーに沸いた90年オフのドラフトは亜細亜大学のサウスポー小池に注目が集まった。前年の豊作ドラフトと違い、不作と言われた年であったが、前年の野茂に続いて、小池にも8球団がドラフト1位指名入札という人気となる。
全球団OKの姿勢を示していた野茂とは違い、小池は読売、西武、ヤクルト以外は入団拒否という強硬姿勢をドラフト前から表明。結局、「最も入りたくない球団」ロッテが交渉権を獲得した。当時の金田監督からラブコールを受けた小池だが、頑なに拒否の姿勢を貫き、社会人野球の松下電器でバルセロナ五輪を目指す事になった。
しかし、左ヒジの故障で大学時代の全盛期の球威はなりを潜め、プロ側の評価は社会人時代に急落。2年後の92年、2年前は意中外の球団の一つであった近鉄が単独の1位指名。紆余曲折の上のプロ入りとなった。
プロ入り後は球威の無さから、先発としても中途半端な成績が続く。しかし、97年の大阪ドーム元年に小林繁コーチの元、覚醒。テンポのいい投球で勝利を積み重ね。15勝をマーク。見事最多勝を獲得する。
翌年以降は再び伸び悩むが、99年には過去の国際経験を買われ、シドニー五輪代表入りした。2000年は門倉健らとの大型トレードで中日に移籍するが、2年間全く活躍することが出来ず、退団。2002年再び古巣近鉄に復帰する。
以後は中継ぎ投手として投法をサイドスローに大胆に変更したりと試行錯誤し、2003年には65試合に登板するなど、貴重な左のワンポイントとしてベテランの味を発揮した。2004年の近鉄消滅に伴い、分配ドラフトで楽天へ移籍。2005年にてプロ生活を終えた。
引退後もNOMOベースボールクラブでコーチ兼任投手としてチームに貢献した。最初のドラフトのゴタゴタがなければ、もっとプロでの活躍があったのではないかという声もあるが、それでも最多勝や現役晩年の中継ぎ投手での実績は小池の非凡さ、投手としてのクレバーさを物語っている。
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