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10・19無念のラストバッター、羽田耕一

2009/01/05 更新 Yahoo!ブックマークに登録

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三田学園高校から72年のドラフト4位で近鉄に入団。ちなみにこの年のドラフトで羽田以外にも佐々木恭介、梨田昌崇、平野光泰といった後のVメンバーがこぞって入団している。

2年目に早くも一軍で104試合に出場し、12本塁打を放つ。翌年の西本幸雄監督就任以後は主砲土井正博のつけていた背番号「3」を受け継ぎ、サードのレギュラーとして定着し、貴重な和製長距離砲として重宝された。74年には4打数連続本塁打の離れ業をやってのけている。

しかし西本監督から期待の若手がゆえの厳しい指導を受け、阪急の剛速球投手山口高志の高めの速球に監督の指示を無視して手を出したとしてベンチに戻ると監督に鉄拳制裁を食らうと言うエピソードもある(羽田はベンチがその円陣を組んだ際、先頭打者で西本監督の指示が聞けなかった為に招じた行き違いが真相らしい)。

80年には自身初の30本塁打を放ち、チームのV2に貢献。79年からコンスタントに7年連続2桁本塁打を記録した。80年代後半に入ると次第に若手の成長株金村義明にサードのポジションを明け渡すようになり、代打に回ることが多くなった。確率は高くなかったが、意外性の一発などもありベテランの意地を見せていた。

88年の「10・19」では第2試合の延長10回、一死一塁から痛恨の併殺打。この瞬間に事実上近鉄の奇跡の逆転優勝の可能性はついえた。進塁打を意識したあまり、思い切りさを失っていた事を後悔し、中途半端なスイングをするなという後進の指導の基本としていると後に本人が語っている。

89年、チームの9年ぶりのリーグ制覇を見届け現役を引退した。

[動画]パリーグの一番長い日 6/6


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