70年オフのドラフト2位で中大から近鉄に入団。俊足巧打好守と3拍子揃った名ショートとして活躍した。 74年あたりからレギュラーに定着。主に1・2番もしくはラストバッターとして渋いつなぎ役として存在感を示した。平野光泰、マニエル、栗橋茂、羽田耕一らなどと比べると目立たない存在ではあったが、79年初めて出場した日本シリーズの最終戦の最終回、一死満塁でスクイズを試みたが広島のリリーフエース江夏豊に外され、痛恨の失敗。後に伝説として語り継がれる「江夏の21球」のキーパーソンとなってしまった。 とはいえ、この優勝年には11本塁打を放つなど、意外な長打力も披露。77年以来2度目のベストナインにも輝いた実績は誇れるものである。 83年に読売ジャイアンツに移籍。85年に現役を引退した。引退後は近鉄のスカウトとしてここでも「名裏方」ぶりを発揮。現場にも復帰し近鉄の二軍監督として後進の指導にあたった。近鉄消滅後はソフトバンクの二軍監督を務めている。 |
|