89年のドラフト2位で法政大学から近鉄に入団した。アマ屈指の俊足強打の右打者として知られていた中根はルーキーイヤーから淡口憲治、村上隆行、新井宏昌、鈴木貴久らがひしめく当時の近鉄外野陣の一角に食い込み59試合の出場ながら自慢のパンチ力のある打撃を発揮し、いきなり10本塁打をマークした。 2年目以降レギュラー獲得の期待がかかったが、怪我が多く、外野手層の厚さもあり、新井の引退後も村上や内匠政博らとの併用が続いた。しかし、勝負強い打撃には定評があり、対左投手時の切り込み隊長として起用されることも多く、チーム内での存在感は大きかった。 最下位から1ヵ月半で首位に浮上するという奇跡をやってのけた94年シーズンは「恐怖の9番打者」として恐れられルーキーイヤー以来の10本塁打を放った。 若手の成長株、大村直之の台頭で出場機会を奪われつつあった97年のオフに横浜ベイスターズの中継ぎエース盛田幸妃との電撃トレードが決まった。横浜移籍後も貴重な左キラーとして活躍。横浜ファンからの人気も高く、惜しまれながら2003年に現役を引退した。 |
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